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【11】やっぱり音楽が好き

2025/01/11
ぼくが<オンガク>というモノに出会った
一番古い記憶は、幼少の頃。

何歳とか厳密なことは全く覚えていませんが、
夜、仕事から帰宅したオヤジが
晩酌をしながらギターを弾き、
お袋がギターに合わせて歌う
・・・そんな光景が我が家では日常的でした。

オヤジは大学生の頃にエレキ・ギターを始めたようで、
その当時、堺市の浜寺公園に建っていた倉庫で
バンドメンバーと練習をしたり、
パー券をさばいては、あちこちで演奏会を開いたそうです。

オヤジとお袋が結婚するに至ったきっかけもバンド。
お袋はいわゆるバンドの「ミーハー(ファン)」だったようで
オヤジのバンドを見に来ていたことがご縁のようです。

さて、その後、
ぼくが音楽っぽいことに興味を深めたのは、
地元の「だんじり祭り」の和太鼓がきっかけでした。

秋のだんじり祭りの時期が近づくと
だんじり小屋から和太鼓などのお囃子が町内に響き渡り、
それが耳に入ると居ても立ってもおられなくソワソワとし、
宿題なんて放り出して、
自転車でだんじり小屋まで駆けつけたものでした。

地元でもあるし、頻繁にだんじり小屋に行くものだから、
青年団の人たちも小さな自分にとても優しく接してくれ、
和太鼓を好きなように叩かせてくれました。

そして、小6のときの祭りの本番の日、
「だんじりに乗って、叩くか?」と言われ、
嬉しすぎて大興奮!!!

動くだんじりの中で叩く大太鼓は格別でした。
でも、数時間が経ち、そろそろ神社に到着する頃、
ベテランの和太鼓担当のジジーに
「お前、そろそろ代われ!」と言われ、
和太鼓のバチをイヤイヤそのジジーに渡しました。

幼少期の記憶って怖いものですね。
今でもあのジジーの事を思い出すと、
ちょっとイラっとしますもん(笑)

その後、中学に入ると
野球部で野球漬けの日々となり、
だんじりとは疎遠になり、
特に音楽とも縁のない生活を過ごしていました。

が、高校では「バンドでドラムをやりたい」と思い、
軽音楽部を探したのですが、
あいにく進学した高校には軽音楽部が無く、
その代わりに、吹奏楽部に入ればドラムが叩けるというので、
音符など全く読めないにも関わらず吹奏楽部に入部し、
パーカッション(打楽器)パートとなりました。
 
その後の3年間はドラムをはじめとする
打楽器が楽しすぎた事もあり、
完全に吹奏楽生活に没頭しました。

毎年夏には一大イベントである「吹奏楽コンクール」があり、
これがまた燃えに燃えるのです。

その当時の完全燃焼ぶりは、
51歳の今となってもあれほどの経験はありません。

ドラムの楽しさ、打楽器の楽しさ、音楽の素晴らしさ。
そして何よりも、
仲間と1つの音を作り上げていくあの感じ・・・

本当に燃えた高校3年間でした。
おかげでドラムの基礎はその3年間で
相当培われました。

大学時代は再び音楽を離れ、
これまた全く分野の異なる「キャンプリーダー活動」をしていました。

幼少の頃、よく両親にキャンプに連れてもらっていたので、
そもそもアウトドアも大好きでした。

大学3回生の時、1年間アメリカの大学へ留学したのですが、
どの授業を履修しても良いということで、
経済などの自分の専攻科目だけでは飽きてくると思い、
学部は違ったのですが音楽科の教授に

「留学生やけど、しかも、音楽科と違うけど、
 吹奏楽の授業、取らせてくれへんでしょうか?」

と頼みに行くと、超笑顔で「全然OKですよ!」
と迎え入れてくれました。

(ライマー先生、めっちゃ優しくて、笑顔のいい先生だったなぁ。今でも元気だろうか・・・)

おかげで、音楽専攻でもないのに、音楽バリバリの生徒に混ざって、
吹奏楽の授業を受講し、もちろん、打楽器パートで演奏させてもらいました。

音楽が出来れば、国境を越えて通じ合えるものだなと、
その時、強く感じました。

特に、アメリカの大学で楽しかったのは
<応援団バンド(PEP BAND)>
に入れてもらえたことです。

「ヘイ、エイジ!Drumウマイやん!
 うちの応援団バンドに入らへんか?」と
音楽科の友人に誘われ、
週末になるとキャンパスを離れ、
バスケ部などの応援演奏に行きました。

記念行事の日などには
トラックの荷台に乗ってドラムを叩きながら、
町の中を演奏パレードしたこともありました。

その後、日本に帰国し、社会へ出た訳ですが、
1999年にインターネットの「メン募」で集まった仲間と
バンドを結成しました。

メン募で集まった、いわば偶然出会ったようなメンバーなのに、
みんな、ビビるくらいに楽しくて、面白くて、
しかも、メチャクチャ良い人達ばかりで。

ボクは改めて音楽、バンドの世界にハマっていきました。

最初は奥田民生などのコピーばかりしていましたが、
そのうち自分で曲を作る楽しみを覚え、
あまり上手ではないアコギ片手に
30曲くらい作詞作曲しましたね。

DATという当時の打ち込み機器を使って
7割くらいの完成度でデモ曲をバンドに持っていくと、
メンバーがいい感じに仕上げていってくれるので
音作り、曲作りの楽しさを改めて知りました。

ただ、コロナ禍はスタジオ練習が出来なかったので、
その延長で今ものんびり。
メンバー各自、自由に待機中(笑)

でも、これくらいのゆるさも
音楽が好きでいられる理由の1つです。

そして。。。

ボクのの子どもたちも、音楽が大好きになってくれました。
娘はピアノ、息子はエレキギターを楽しんでいます。

さらに、子どもたちに触発され、妻もベースを購入!
これにはさすがにボクもびっくりしました。

妻は歌うのが上手く、カラオケ大好き人間なのですが、
まさかベースに手を出すとは!
中々手こずっている様子ですけどね。

おかげで、
○ギター 息子
○ベース 妻
○ピアノ 娘
○ドラム ボク
と、メンバーが揃いました。

ボーカルは。。。
誰かが兼務するとして。。。
ん???
わが家は全員歌も好きなので、
殴り合いか、取り合いジャンケンですね(笑)

さいごに。

いつか家族でバンドを組むこと、
これがボクの夢の一つに加わりました。

もし、神さまが
粋なはからいをして下さって、
子どもたちの結婚式の日に
家族で演奏ができたりしたら。。。

それはそれはもう、
感動するだろうなぁ。

ボクの小さくも大きい夢であり、野望です。


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