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連続税務小説 ヤマゲン 第70話 「妖怪イカリオヤジ」

2026/03/10
連続税務小説 ヤマゲン 第70話 「妖怪イカリオヤジ」

 午前。

 

 住宅街の一角にある、古い二階建ての事務所。

 

 プレートには、

 

『高橋建設』

 

 と書いてある。

 

 夏美がドアに手をかけた、そのときだった。

 

「だから言うたやろ!!」

 

 怒鳴り声が、建物の外まで響いた。

 

「今さら材料が間に合いませんて、どういうことや!」

 

 電話口らしい。

 

「昨日のうちに確認しとけ言うたやないか!」

 

 ドン!

 

 机を叩く音がした。

 

 夏美の手が、ドアノブの上で止まる。

 

「段取りぐちゃぐちゃやないか!」

 

「現場は遊びちゃうんやぞ!」

 

 ガチャ、と電話が切れる音。

 

 静かになった。

 

 夏美は小さく息を吸い、

 ノックした。

 

「失礼します」

 

「誰や」

 

 中から低い声が返ってきた。

 

 事務所の中には、図面と書類が山のように積まれていた。

 

 机の奥に、大きな男が座っている。

 

「大和税理士事務所の、一条です」

 

「ヤマゲン先生のとこの?」

 

「はい」

 

 男は夏美をちらりと見た。

 

「若いな」

 

 そのとき、

 ガラッ、とドアが開いた。

 

「社長、現場の件なんですが」

 

 作業服の男が入ってきた。

 

「なんや」

 

「コンクリの打設、今日ちょっと――」

 

「なんでや!」

 

 怒鳴り声が飛んだ。

 

「段取り、どうなっとったんや!」

 

「いや、その……」

 

「段取りできへんのやったら最初から言え!」

 

 作業服の男は黙って頭を下げた。

 

 社長は腕を組んだまま言う。

 

「現場はな」

 

「机の上の計算通りには動かへんのや」

 

 その言葉は、さっき電話で怒鳴っていた言葉と同じだった。

 

 男が出ていくと、

 社長は試算表を手に取った。

 

 そして。

 

 バン!

 

 机に叩きつけた。

 

「なんやこれ!」

 

 夏美の肩がびくっと動いた。

 

「税金、こんな高いんか!」

 

「今期は利益が出ていますので……」

 

「利益?」

 

 社長の眉が上がる。

 

「ネーチャン」

 

 一拍。

 

「それをどないかするのが、

 あんたらの仕事とちゃうんか」

 

 夏美は口ごもる。


「利益が高いから、税金が高い」

「それやったら、ワシら、
 税理士にカネ払っとる意味がないやろ」

「ワシ、間違ったこと、いうとるか、ネーチャン」

 夏美は、
 鼓動が早くなるのが分かった。

 なんて言えば……。

 頭が真っ白になる。

 手が震え始める。

 そのときだった。

「社長、言い過ぎやで。
 もうそれくらいにしとき」

 妻だろうか、
 事務員だろうか。

 中年女性が、
 助け舟を出す。

「うっさいわい」

 そういうと、
 ションベンに行くと言い捨て、
 席を離れた。

 高橋が事務所を出たことを確認すると、
 その中年女性は言った。

「あの人、いつも怒ってはるねん。
 根は悪い人とはちゃうねんけど」

「若先生、許したってや」

「あ、いえ、そんな……」

 夏美は、
 まだ混乱している。

 間もなく、
 トイレから帰ってきた髙橋が、
 少しトーンを落として言った。

 

「あのな、ネーチャン」


「はい……」

「ワシら、細かい数字のことはよう分からん」

「せやけど、感覚では分かっとるつもりや」

「少なくとも、
 あんたの先生、ヤマゲン先生はな、
 利益が出てるから税金が高い、
 そんな乱暴な説明の仕方はせえへんで」

「すみません」

 夏美は謝る言葉しか出てこない。

「ネーチャンの言いたいことは、

 分かる」

 

「でもな、数字の世界だけやない」

 

「現場はそんな簡単ちゃう」

 

 夏美は小さくうなずいた。

 

「申し訳ありません」

 

 社長は椅子にもたれた。

 

「税金は高いわ」

 

「材料は上がるわ」

 

「燃料も上がるわ」

 

 机を指で叩く。

 

「政治家は何しとるんや」

 

 吐き捨てるように言った。

 

「この国、もうあかんわ」

 

 夏美は、何も言えなかった。



 

 帰り道。

 

 駅までの道を歩きながら、

 足が重かった。

 

 怒られた。

 

 何が悪かったのかも、

 よく分からない。

 

 電車に乗る。

 

 窓の外を見ながら、

 鞄からノートを取り出した。

 

 表紙には「社長ノート」と書いてある。

 

 まだ少し震えた手で、

 ページを開き、

 ペンを持つ。

 

 ・高橋建設

 ・電話で怒る

 ・職人に怒る

 ・私にも怒る

 ・政治にも怒る

 ・ネーチャンと呼ぶ

 ・失礼
 ・感じ悪い

 恐怖が少し引いたからなのか、
 夏美の心に、
 別の勘定が芽生えた。
 怒りだった。

 

 深く息を吐くと、

 最後に一行、書き足した。

 

・妖怪イカリオヤジ

 

 ノートを閉じた。

 

 電車が揺れる。


 思考も揺れる。

「源太郎おじさんは、

 どうやって対応しているのかしら、あんな社長……」


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