夜。
工場のシャッターを下ろしたあと、
田中 恒一は、車を市内へ走らせた。
家とは逆方向。
ハンドルを握る手に、
少しだけ力が入る。
その店は、
派手ではない。
看板も控えめで、
入口はどこか落ち着いている。
クラブ・リバプール。
田中が、
ここに通うようになったのは、
いつからだっただろう。
「いらっしゃいませ」
「お待ちしてました」
柔らかい声。
彼女は微笑んだ。
年は、
田中よりずっと若い。
でも、
話し方は大人びていて、
どこか影があった。
「今日もお仕事、大変でした?」
その一言で、
胸の奥が、
すっと軽くなる。
「麻里子ちゃんの顔を見たら
ホッとするわ」
「うれしい!」
「わたしも
田中さんの顔見たら
なんだか安心しちゃうな」
社交辞令だと
分かっている。
しかし、
一日中機械を回し、
疲れた体だと
分かっていても、
熱い血潮が
否応なしに
頚椎から込み上げてくる。
やや心拍数が上がる。
「田中さん、
ボトルあと少しやから
新しいの、イイよね?」
うん、と田中がうなずくと
麻里子は
「お願いしまーす」と
ボーイを呼んだ。
家では、
弱音は吐かない。
工場では、
迷いを見せない。
でも、
ここでは違った。
彼女は、
田中の話を、
否定せずに聞いた。
それだけで、
十分だった。
最初は、
得意先の社長に
連れてきてもらったのが
きっかけだった。
そして、
何度か
連れてきてもらううち、
馴染みの女の子も増えてき、
自ずと
通う回数は、
増えていった。
ボトル。
麻里子。
指名。
同伴。
財布は、
軽くなっていく。
家では、
妻が不思議そうに言った。
「最近、
まとまったお金、
ちょこちょこ無くなってへん?」
「……そうか?」
「機械も
結構、
修理代とか
消耗品とか
かかるからなぁ」
田中は、
目を合わせなかった。
ある夜。
クラブ・リバプール。
麻里子は、
珍しく、
深刻な
顔を見せた。
「どないしたん、
麻里子ちゃん?」
「えらい今日は
"お澄ましさん"やん」
「……実は」
声を落とす。
「ちょっと、
困ってて」
「なんや?
変な男にでも
言い寄られてるんか?」
「それは、あらへんよ」
麻里子は
少しだけ表情を緩めた。
「わたし、
田中さん以上に
優しい人、
おらへんと思ってるもん」
「あー、よかった、
麻里子ちゃんは
オレのもんやからなぁ」
水割りの氷が
白々しく
カラリ、
と音を立てる。
「実は・・・」
と言うと、
麻里子は
田中の耳元に、
その艷やかな
グロスで覆われた
唇を
近づけた。
麻里子の
体温が
吐息を通して
田中の耳に伝わる。
「ママには・・・
絶対に、
言わんといて欲しいの」
話は、
よくあるものだった。
田舎で一人暮らしの父親。
入院。
手術。
自分は一人娘。
これまで
昼の仕事と夜の仕事を
掛け持ちして、
なんとか
仕送りをしてきたこと。
田中は、
黙って聞いていた。
なんとなく
先の言葉も
予想できた。
しかし、
目を潤ませながら
少し紅潮した表情の
麻里子を
見ていると
真剣な彼女には
申し訳ないが、
改めて
「いい女」だと思った。
水割りが
心地よく回る。
その数字は、
田中の年商の中で
決して小さくはなかった。
「300万、いるんです」
カラン、と
グラスが鳴り、
数字が、
頭の中で反響した。
工場の設備。
税金。
運転資金。
瞬時に、
いろんなものが、
よぎる。
しかし、
麻里子の
その目を見た瞬間、
田中は
考えることをやめた。
「……分かった」
その一言で、
彼女は、
涙を浮かべた。
翌日。
現金。
帳簿には、
載らない金。
理由の説明も、
できない金。
今日は休みだという
麻里子と
夜に待ち合わせた。
そして、
二人は、
長い時間を過ごした。
それ以上のことは、
田中の記憶の中だけに、
残った。
ヤマゲンの税理士事務所。
来客中だった。
机の向こうには、
別の顧問先の社長。
そのとき。
ドアが、
勢いよく開いた。
「源太郎おじさーん!」
やけに明るい声。
場の空気が、
一瞬で止まった。
「こらっ!」
ヤマゲンが、
思わず声を荒げる。
「来客中や!」
社長が、
目を丸くした。
「あっ」
若い女性は、
ぴたりと止まる。
そして次の瞬間、
ぺろっと舌を出した。
「ごめんなさい」
ぺこりと
頭を下げる。
ヤマゲンは、
額を押さえた。
「……まったく」
社長に向き直る。
「すんません。
身内でして」
社長は、
苦笑いした。
「いえ……
お元気ですね」
面談が終わり、
社長が帰ったあと。
ヤマゲンは、
改めて彼女を見た。
「……で?」
ヤマゲンは
イチゴポッキーを
1本つまみ出した。
「なっちゃん、何しに来たんや?」
「今日からです!」
彼女は、
さも当然のように言う。
「お世話になります!」
「誰が決めた?」
「お母さん!!」
即答だった。
ヤマゲンは、
深くため息をついた。
姉の顔が、
頭に浮かぶ。
「源太郎おじさん、
ひょっとして
お母さんから
なんも聞いてへんの?」
姉からは
そう言えば
しばらく前に
電話があった。
娘の夏美が
「そういえば、聞いとる、お母さんから」
「良かった!」
「もし、勝手に来てたら、
わたし、KYやんもんね!」
「なんやねん、ケーワイって」
「大阪で有名なとんかつ屋か?」
「源太郎おじさん、相変わらず面白なぁ」
アハハと夏美は笑った。
夏美が小さい頃、
源太郎は
よく遊んでやったものだ。
その頃の
表情と
何も変わっていない。
そう言えば、
姉も
夏美と全く同じ
笑い方をする。
なんとなく、
夏美を見ていると
姉が思い出された。
久しく会っていない。
(元気にしてるんやろうか・・・)
すると突然、
夏美は
姿勢を正し、
凛とした表情を
源太郎に見せた。
「改めまして、
就職浪人中の
一条 夏美です」
「分かっとるわ・・・」
「今日から、
よろしくお願いします!」
「しゃーないなぁ・・・」
と言う源太郎の言葉に
重ねるように
夏美は言った。
「ところで、源太郎おじさん」
そんなものはマダだと
源太郎は首を横に振った。
「えー、
入社日やのに
名刺も用意してくれてへんの?!」
「……明日にでも発注しといたるわ」
ヤマゲンは、
内心で思った。
どうせ一週間もしたら、
飽きて辞めるだろう。
だから、
明日も
発注するつもりはない。
「とりあえず、なっちゃん・・・」
ヤマゲンは言った。
「今日は
コピーと
ファイル整理」
「はい!」
と元気に返事をした。
そして、
キョロキョロと
事務所の中を見回している。
「へえー」
「ここが、
源太郎おじさんの職場なんや」
「感想はいらん」
「えー」
源太郎は、
小さく首を振った。
やれやれ。
面倒なことが、一つ増えた。
竹岡税務会計事務所
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