「なっちゃんは、
クルマで帰ってくれたらええわ。
オレ、今日は歩いて帰るから」
「え?
はい、分かりました。
お疲れ様でした」
源太郎は、
夏美の車を見送ると、
田中の工場から河川敷へと続く道を
歩き始めた。
川面には、
街の灯りが揺れる。
30分ほど、
歩いただろうか。
源太郎は、
河川敷の、
ある場所で、
座った。
対岸には、
工場の明かり。
その明かりは、
当時と全く、変わりがない。
変わったのは、
その隣りにあった空き地に、
大きなマンションが建ったことだ。
夏の夜の匂いが、
ふと、胸の奥を揺らす。
中学二年。
一学期が終わる、前夜だった。
「げんちゃん、いこか」
クラスメイトの加山雄一は、
いつもの調子で、源太郎の家に誘いに来た。
明日は終業式。
通知表をもらって、
そのまま夏休み。
浮き立つような夜だった。
近所の空き地。
隣の町工場の明かりが、
こうこうと漏れている。
二人は、よくそこで、
キャッチボールをした。
その夜も、いつも通りのはずだった。
パン、とミットが鳴る。
雄一の球は、少しだけ強かった。
しばし、二人は黙々と投げ合った。
汗が、額に滲み出てきた。
「なあ、げんちゃん」
雄一は、ボールを握ったまま言った。
「オヤジの会社……つぶれた」
源太郎は、一瞬、聞き取れなかった。
「倒産や」
ボールが、地面に落ちた。
「オヤジの会社、借金、めっちゃあるらしい」
「そやから」
「うちの親、離婚するねん」
「おれは、お袋の実家、九州に行く」
虫の音だけが、聞こえる。
「明日で、学校、最後や」
「げんちゃんには」
「そうか……」
翌朝。
終業式。
みな、浮かれていた。
「海行くんやろ?」
「ゲーム貸してや」
蝉の声が、校庭から響く。
体育館で、校長の話。
そのあと、教室に戻る。
担任が、少し声を落とした。
「加山くんは、お家の事情で転校することになりました」
ざわめき。
さっきまでの笑い声が、少しだけ止まる。
雄一が立ち上がる。
「みんな、これまでありがとう」
「さようなら」
それだけだった。
拍手も、まばらだった。
夏休み前のざわめきの中に、
その言葉は、静かに沈んだ。
帰り道。
「加山、おまえんち、倒産したらしいな」
「夜逃げでもするんやろ」
笑い声。
雄一は、うつむいた。
源太郎の中で、何かが切れた。
胸ぐらをつかみ、
拳を振り上げる。
「やめて、げんちゃん!」
雄一の声。
「もう……ええねん」
涙をこらえながら、
「ほんまのことやし」
その一言で、拳が止まった。
掴んでいた手を、ゆっくり離す。
気まずい空気。
「げんちゃん、ありがと」
「おれ……」
それ以上、言葉は出なかった。
翌朝。
雄一の家に行った。
「加山」の表札が、外されていた。
門の内側は、静まり返っている。
賑やかな家族だった。
もう、誰もいない。
夏は、始まったばかりだった。
だが、
源太郎の中で、
何かが終わった。
倒産の意味は、
まだよく分からなかった。
けれど、
消えるということは、
はっきりと分かった。
終業式の前夜。
転がったボール。
親友、雄一の泣き顔。
源太郎にとって、
田中は、
どこか雄一と重なるところがある。
川面から、気持ちの良い風が吹き始めた。
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