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連続税務小説 ヤマゲン 第77話 「妖怪シッタカブリ(後編)」

2026/03/18
連続税務小説 ヤマゲン 第77話 「妖怪シッタカブリ(後編)」

 

 ある朝。

 

 夏美は、 

 東和トンネル工業
 を訪れた。

 

 前日の訪問で、

 傘を忘れていた。

 

 まだ社員は出社していない。

 

 だが。

 

 ひとり。

 

 社長の東和が、

 会社の前の歩道を

 掃き掃除していた。

 

 東和は気づき、

 穏やかに笑った。

 

「おはようございます」

 

「傘、お預かりしてますよ」

 

「すみません、ありがとうございます」

 

「もしお時間があれば、

 温かいお茶でも召し上がっていって下さい」

 

 社長室へ案内される。

 

 机の上。

 

 ラジオ。

 ヘッドホン。

 ラジオ英会話のテキスト。

 

 社長は少し照れたように笑った。

 

「掃除に続いて、

 またもやお恥ずかしいところを

 見られてしまいました」

 

 そして静かに言った。

 

「先日は失礼なことを申し上げました」

 

「お詫びいたします」

 

 社長は続けた。

 

「私は2代目です」

 

「周りの方は、皆、
 創業者である父のことをよく褒めて下さります」

 

「立派な人だった」

 

「偉い人だった」

 

「尊敬すべき人だった」

 

 東和は苦笑した。

 

「逆に言えば、

 私は、

 何もできない、

 ボンボン社長だと思われているのです」

 

「ですから、

 馬鹿にされないよう、

 取り繕うことに必死でした」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 夏美の胸の奥で、

 何かが崩れた。

 

「社長……」

 

 声が震える。

 

「実は……私もです」

  

「社長に馬鹿にされないよう、

 必死でした」

 

「税務以外のことも、

 必死に勉強しました」

 

「でも……」

 

「私は、

 税務も会計もまだ未熟な上に」

 

「他のことも知らないことだらけです」

 

 夏美は、

 テーブルの湯呑に視線を落とした。

 

「それなのに」


「そんな自分を差し置いて」

「東和社長のことを」

 

「正直申し上げて、

 途中から、

 少し、

 馬鹿にしていました」

 

「申し訳ありません」

 

 夏美は、

 深々と頭を下げた。

 

 夏美の頬を、

 涙が伝う。

 

 自分でも、

 なぜ涙が出るのか分からなかった。


 しかし。

 これまでの自分を恥ずかしいと思う気持ち、
 申し訳ないという気持ち、
 そして、
 やり場のない気持ちが、
 熱い塊となって流れ落ちた。
 
 そんな夏美を見て、

 東和はハンカチを差し出し、

 そして、

 静かに言った。

 

「先生」

 

「若いうちはね、

 それでいいんですよ」

 

「馬鹿にされたくない、

 無知だと思われたくない」

「その負けん気は、

 成長の糧になります」

 

 そして微笑んだ。

 

「実は、私も……

 若いのにしっかりしている先生に、

 馬鹿にされたくないと、

 背伸びをしていたんです」


「いい年なのに、
 自分でも呆れてしまいます」

 

 しかも……

 

 と、東和は続けた。

 

「背伸びどころか、

 背中が曲がる年齢の方が近いですけどね」

 再び、東和は、微笑んだ。

 夏美も、微笑んだ。


 そして。

 さらに、
 大粒の涙を流した。

 


 

 時刻はまだ、

 朝8時すぎ。

 

 従業員がちらほらと出社してくる。

 

 夏美は会社を出た。

 

 電車に乗れば、源太郎の事務所まで15分。

 

 しかし。

 

 夏美は歩きたくなった。

 

 1時間。

 

 歩きながら、思い返した。

 

 ナガバナシ。

 イカリオヤジ。

 マルナゲ。

 イチエン。

 ナキゴト。

 リソウロン。

 ムチャブリ。

 

 そして、

  シッタカブリ。

 シッタカブリは、
 自分のことだと思った。

 

 そのとき。

 

「あっ……」


 夏美は、思わず声が出た。

 妖怪だと思っていた社長たち。

 

 しかし。

 

 あの人たちは、

 自分の中の、


 見たくない部分、

 見られたくない部分を、

 見せてくれた人たち

 だったのかも知れない、と。

 

 見た目や年齢、

 業種や物の言い方は違えど、

 

 彼らはみな、

 自分そのもの、

 あるいは、

 自分の一部の投影かも知れない、と。

 

 夏美はこれまで、

 知らず知らず、

 自分と他人とを、

 区別して考えていた。


 だが。

 違う。

 そうじゃない。

 点が、

 一気に線になった。

 

 就職浪人。

 親への甘え。

 叔父の源太郎への甘え。

 

 自分の人生と、

  本気で向き合ってこなかった。

 

 学歴。

 職歴。
 肩書。
 地位。

 自分でも気づかない内に、

 そんな物差しで、

 相手を計ってしまっていた。

 そして、
 なによりも。

 中小企業の社長たちを、

 自分勝手で、
 わがままで、
 能力が低い人たちだと、

 そう思っていた。

 ――誰が?

 

 一番、そう思っていたのは。

 夏美自身だった。


「わたしこそ……」

「妖怪だったんだ……」

 夏美は、
 一気に自信がなくなった。
 
 いや、
 自信があった訳ではない。

 自分も源太郎のように、
 顧客から信頼を得たい、
 喜んでもらいたい、
 そう焦っていた。
 
 焦る必要など全くないのに、
 なぜか焦っていた。

 税務会計実務に多少携わってきたとは言え、
 簿記2級を取ったとは言え、
 自分は、大したことは何も持ち合わせていない。
 
 まだまだ未熟だ。
 
 もっと勉強をしなければいけない。
 もっと自分自身を高めないといけない。

 しかし。

 そんな自分と向き合うことを、
 夏美は、
 避けてきた。

 源太郎の傘の下で、
 甘えてきた。

 ぽつり。

 雨が降り始めた。

 夏美は、
 傘を差す気にならず、
 とぼとぼと、
 事務所へと歩く。

 そのとき。

 夏美の頭上に、
 ふっと影が落ちる。

「風邪、ひくで」

 視線を上げると、
 源太郎が傘を差し出していた。

「源太郎おじさん……」

「わたし……」

 言葉が、続かない。

 源太郎は、
 何も聞かない。

「行くで」

 それだけ言って、
 歩き出した。

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