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連続税務小説 ヤマゲン 第78話 「 」

2026/03/17

 午前。

 源太郎と並んで、

 事務所のドアを開けた。

 

 まだ、

 全員は揃っていない。

 

 朝の静けさが残っている。

 

「ほれ、

 頭、拭いとき」

 

 源太郎は、

 夏美にタオルを差し出すと、

 そのまま何も言わずに、

 奥の席へ向かった。

 

 椅子に腰を下ろし、

 いつものように新聞を広げる。

 

 夏美も、

 身なりを整え、

 自分の席に座った。

 

 パソコンを開く。

 

 だが、

 手が動かない。

 

 さっきのことが、

 頭から離れない。

 

 数分。

 

「源太郎おじさん」

 

「ん?」

 

「わたし……」

 

 言葉が詰まる。

 

「わたし、今まで、

 何を見てたんだろって思って」

 

 源太郎は、

 新聞から目を離さない。

 

「社長のこと、

 ずっと“妖怪”やと思ってました」

 

「でも……違いました」

 

「わたしが、勝手に

 そう見てただけで」

 

 夏美は、

 ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「妖怪ナガバナシも」

 

「妖怪イカリオヤジも」

 

「マルナゲも、

 イチエンも、

 ナキゴトも、

 リソウロンも、

 そして、

 ムチャブリも……」

 

 一拍。

 

「全部……」

 

「わたしの中にも、ありました」

 

 源太郎は、

 小さく笑った。

 

「そやろな」

 

 夏美は顔を上げる。

 

「え……?」

 

「なっちゃんだけやないで」

 

 源太郎は言う。

 

「みんな、そうや」

 

「人の中にあるもんはな、

 自分の中にもある」

 

「せやから、

 人見て腹立つんや」

 

 夏美は、

 黙って聞いている。

 

「ほんまに自分に無いもんはな、

 気にもならん」

 

 静かな声だった。

 

「今回、それが見えたんやな」

 

 夏美は、

 小さくうなずいた。

 

「でも……」

 

「わたし、どうしたらいいか、

 分からなくなりました」

 

「未熟だし」

 

「何も分かっないし」

 

「そんな状態で、

 社長に何か言っていいのかって……」

 

 源太郎は、

 新聞をたたんだ。

 

「ええんちゃうか」

 

「え?」

 

「別に、

 完璧な人間しか

 仕事したらアカンわけやないやろ」

 

 一拍。

 

「むしろな」

 

 源太郎は続けた。

 

「自分が未熟やって分かってる人間の方が、

 ええ仕事するで」

 

 夏美は、

 その言葉を噛みしめる。

 

「分かってへんのに、

 分かったフリするのが一番アカン」

 

 一瞬、

 東和の顔が浮かんだ。

 

 そして。

 

 自分の顔も。

 

 夏美は、

 ゆっくりと息を吐いた。

 

「……はい」

 

 鞄から、

 あのノートを取り出す。

 

 表紙には、元々、

 社長ノート

 と書かいてあった。


 が、いつの間にか、
 夏美は、二重線を引き、
 妖怪ノート
 と改題していた。

 しばらく見つめる。

 

「おじさん、いえ、先生、これ……」


 夏美は、
 思い切って、
 ノートを源太郎に差し出した。

「ほう」

 源太郎が、

 ページをめくる。

 

「おもろいやん」


「各社長の特徴、しっかり捉えとるな」

 夏美は言った。

 

「でも、これ、

 社長のことを記録していたつもりが」

 

「わたしのことを、

 書いていました」

 

 源太郎は、

 少しだけ笑った。

 

「ようやく気づいたな」


「え?」

「なんで、最初、
 あの7件を担当させたか、分かるか」

「いえ、全然……」

 源太郎は、椅子に深く座った。

「なっちゃん、昔話でな、
 汚い格好をした人を、
 きれいに洗ってあげたら、
 実は、仏さんやったっちゅう話、
 知ってるか」

「いえ……」

 そうか、
 というと源太郎は続けた。

「あの社長たちはな、
 ワシと会った当初は、
 ひどいもんやった」
 

 夏美は、

 すかさず言った。

「わたしのときも、ひどかったです」

「そのひどさは、
 先生にも、
 これまで報告させてもらっていたとおりです」

 源太郎は笑う。

「あれは、少々、演技が入っとる」

「演技?」

「そや、演技や」

「あの社長ら、
 ワシも最初は手こずったわ」

「わがまま、
 自分勝手、
 泣き言、
 そら、ひどいもんやった」

「そやから」

 源太郎は、
 たばこに火をつけた。

「ワシも、
 最初の頃は、
 なっちゃんと同じように、
 ストレス以外の何者でもなかった」

 夏美は、
 驚いた表情を見せた。

「そやけどな、
 日々仕事をさせてもらう中で、
 少しずつ、
 景色が変わっていった」

「景色が、ですか」

「そや」

 源太郎は、
 タバコの火を、
 灰皿でもみ消した。

「最初な、
 ワシは、自分の力で、
 あの人達の会社も、
 そして、あの人達自身についても、
 アカン部分を全部直したろうと思ってた」

「そやけど、
 それはワシのエゴやった」

「エゴですか」

「そや」

「そやけど、
 あの人らは、
 人は人を変えられへんってことを、
 ワシに教えてくれた」

「え、じゃあ、
 ダメな人は、
 ダメなままじゃないですか」

「そこが、ちがうねん」

「ダメと、ちゃうんや」

 それを聞いて、
 夏美は、言葉を飲んだ。

「ええか、なっちゃん」

 源太郎は続けた。

「この世の中、
 官僚や大企業のエリートばかりとちゃう。
 魚屋もおる。
 土木工事屋もおる。
 一晩中、赤い点灯棒を持って警備しとる人もおる。
 バスの運転手もおる。
 散髪屋もおる。
 町工場で働く人もおる。
 レジ打ちのパートさんもおる。
 色んな人がおる」

「しかも、
 人間みな、
 生まれも育ちも違うから、
 性格も違う。
 怒りやすい人もおれば、
 悲観的な人もおる。
 上手に言える人もおれば、
 感情が先に出てくる人もおる。
 金を持っている人もおれば、
 困っている人もおる」

「いったい、
 誰が良くて、
 誰がアカンなんて、
 誰が決めれるんや?」

「少なくとも、
 ワシらにそれを決める権利があるんか?」
 
 源太郎は、立ち上がり、
 窓の外を眺めた。

 雨は、
 いくぶん、小降りになってきた。

「なっちゃん」

「税理士の仕事って、なんやと思う?」

 源太郎が、
 背中で聞いてきた。

「決算とか税金の計算……でしょうか」

 源太郎は、
 背中のまま、
 壁に掛けられた額縁を指さした。

「ゆっくり、読んでみ」

 そこには、こう書かれていた。


 税理士法 第1条 税理士の使命

 税理士は、


 税務に関する専門家として、


 独立した公正な立場において、


 申告納税制度の理念にそって、


 納税義務者の信頼にこたえ、


 租税に関する法令に規定された


 納税義務の適正な実現を


 図ることを使命とする。


「これが、ワシら、
 税理士の仕事や」

「それだけや」

「それ以上でも、以下でもない」

「ワシら税理士の存在意義は、
 その使命を果たすことや」

 夏美は、
 額縁から目が離せなかった。

「ワシも、
 忘れんように、
 飾ってあるんや」

「色々と迷ったとき、
 ワシはこれを読んで、
 原点を思い出す」
 
「世直し役でもないし、
 人格形成者でもない。
 ましてや、
 人の善悪を決める裁判官でもない」

「なっちゃんに担当してもらった、
 最初の7件の社長。
 あの人たちはな、
 頭でっかちになりかかとったワシに、
 色々なと人との向き合い方を教えてくれた、
 恩人みたいなもんや」

「あの人達に会ってなかったら、
 今頃ワシは、
 税理士の使命を忘れて、
 コンサル気取りか、
 自己啓発の大先生気取りに、
 なっとったかも知れん」

「なっちゃんは、
 今、就職浪人中の身や。
 席は、一応うちにあるけど、
 ワシにとったら、
 なっちゃんは仮受金みたいなもんで、
 正式な社員ではない」

「そやから、
 試し試し、内務の仕事をしてもらったり、
 簿記2級を取ってもらったりしながら、
 なっちゃんがどこまでできそうか、
 そして、
 なっちゃんの覚悟を見ていた」

「わたしの覚悟……」

「そや。
 だから、この先どうするかって、
 この前も聞いたやろ」

「はい、そうでしたね」

「頭で考えても難しいやろうから、
 ワシは敢えて、
 7人の社長に協力してもろうた」

「協力?」

「そや、あの社長ら、
 ヤマゲン先生の頼みやったらって、
 なっちゃんを引き受けることに、
 快諾してくれた」

「引き受け?」

「うん、そや。
 みな少々演技が過ぎたようやけどな」

 ヤマゲンが笑う。

「なっちゃんがな、
 各社を出たあと、
 社長らは、みな、
 ワシに逐一電話報告をくれたわ。
 今日はこんな対応をしましたけど、
 姪っ子さん、大丈夫そうでしたかってな」

「え?」

「じゃあ、ニセモノ妖怪?」

 再びヤマゲンは笑った。

「あの社長ら、
 たしかに最初はワシも困った。
 なっちゃん流にいうたら、
 妖怪やったかもしれん」

「せやけど、
 今は、どの社長も、
 本当はちゃんとしとる。
 なっちゃんの勉強になるようにと、
 社長らなりに、みな考えてくれて、
 敢えてヒール役を演じてくれたんや」 
 
 夏美は、聞いた。

「じゃあ、
 もう1件追加するって言って、
 担当となった東和トンネルの社長も?」

 窓からは、
 明るい日差しが
 差し込んできた。

「東和さんには、
 詳細は伝えてない」

「え、そうだったの?」

「うん、そや。
 しばらく、見習い中の新人担当に行かせる、
 それだけは最初に伝えておいた。
 そやけど、それ以上のことは伝えてない」

「あの社長は苦労人や。
 先代は確かにすごい人やった。
 そやけど、
 そのプレッシャーを背負いながら、
 実質的に会社を大きくしたのは、
 今の2代目の社長や」

 夏美が口を開いた。

「わたし、東和社長のこと、
 最初はすごい人だなって思っていたんですけど、
 なんだか、知ったかぶりをしているように思えてきて、
 いつの間にか、馬鹿にしていたんです。
 でも、とても懐の深い人だと改めて分かりました」

 と、夏美はいうと、
 これまでのこと、
 そして、今朝の出来ごとを、
 源太郎に説明した。
 
 源太郎は、静かに目を閉じた。

「さすが、東和さんやな」

「若造相手に、
 素直に非礼を詫びるなんて、
 ワシには真似できへん」

 
「やはり、あの人に、
 最終テストを任せて良かった」

「最終テスト?」

「そや。
 それまでの7人の社長。
 そして、
 言ってみたら、
 あの人は最終テスト。
 そう思って担当させた」

「わたし、
 テストされていたんですか?」

 夏美は少し苛ついた。

「そや。
 実社会は、常にテストされとる」

「しかも……」

「答えがない」

「答えやと思っても、
 別の人や、
 別のケースには、
 当てはまらへん」

「そうなると、
 また一から、答え探しや」

 源太郎は、
 もう一本、たばこに火をつけた。

「そやけど……」

「なっちゃんは、自分なりに、
 答えを見つけたようやな」

「答え、ですか?」

「そや」

「この仕事、
 この先、本気でやるか、
 それとも、辞めるか」

 

 小さく笑った。

 

 窓の外には、

 まだ雨の名残があった。

 

 だが。

 

 さっきまでとは、

 

 少しだけ、


 違って見えた。

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