連続税務小説 ヤマゲン 第6話「払ったのに、経費にならない」
2026/01/06
その日は、朝から雨だった。
工場の屋根を打つ音が、やけに大きく聞こえる。
田中 恒一は、作業着に着替えながら、
ふと、昨日買ったものを思い出していた。
ホームセンターで買った安全靴。
それから、作業用の手袋。
ついでに、切れていた電球と洗剤。
レジでまとめて払った。
もちろん、クレジットカードだ。
「……これ、どこまで経費だ?」
事務所に戻り、レシートを広げる。
安全靴。
手袋。
洗剤。
電球。
仕事に使っている。
少なくとも、安全靴と手袋は、間違いなく現場用だ。
けれど、洗剤と電球はどうだろう。
家でも使う。
工場でも使う。
「全部まとめて、経費でいいよな……?」
そう思いたい気持ちと、
どこかでブレーキを踏む感覚が、同時にあった。
会計ソフトの画面に、
「消耗品費」という科目が並ぶ。
便利な言葉だ。
何でも飲み込んでくれそうな響きがある。
田中は、一度、全額を入力した。
そして、しばらくその画面を見つめた。
――本当に、全部仕事か?
自分に問いかけてみる。
安全靴は、仕事だ。
手袋も、仕事だ。
でも、洗剤は?
電球は?
仕事に使っている。
けれど、生活とも切り離せない。
「……線引き、ってやつか」
誰に教わったわけでもない。
でも、なんとなく分かる。
税金の世界では、
“使った”だけでは足りない。
“仕事のためかどうか”
それが問われる。
田中は、レシートを二つに分けた。
安全靴と手袋。
洗剤と電球。
後者を見つめながら、ため息をつく。
「払ったのに、経費にならないって……」
理屈は分かる。
でも、感情が追いつかない。
工場で使っているのは事実だ。
仕事がなければ、買っていない。
それでも、
“全部”は通らない。
田中は、洗剤と電球の金額を、
半分だけ経費に入力した。
根拠はない。
ただの感覚だ。
入力を終えたあと、
妙な気持ちが残った。
損をしたような。
でも、少しだけ、胸を張れるような。
「……これ、誰かに聞けたらな」
そう呟いた瞬間、
頭に浮かんだのは、あの検索履歴だった。
「税理士 製造業 相談」
まだ顔も知らない。
声も知らない。
それでも、
“聞いてもいい人がいる”
というだけで、
気持ちは少し軽くなる。
田中は、レシートの余白に、
こう書き足した。
「工場と自宅で共用
使用割合およそ半分」
完璧じゃない。
でも、逃げてはいない。
そう思えた。
雨音が、少し弱まってきた。
シャッターの向こうが、明るくなる。
田中は立ち上がり、
安全靴に足を通した。
仕事と生活。
経費とそうでないもの。
その境目は、
思っていたより、
曖昧で、
そして――
自分で考え続けなければいけない場所
なのだと、
初めて実感していた。