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連続税務小説 ヤマゲン 第7話「財布は一つで、通帳も一つだった」

2026/01/07
連続税務小説 ヤマゲン 第7話「財布は一つで、通帳も一つだった」

 田中 恒一の財布は、ずっと一つだった。

 独立する前から使っている、黒い革の長財布。
 現金も、クレジットカードも、
 仕事用も生活用も、全部そこに入っている。

「分けるの、面倒だしな」

 それが、正直な理由だった。

 この日も、午前中は工場で作業をし、
 昼前に材料を買いに車を走らせた。

 現金払い。
 財布から、すっと札を出す。

 午後、今度はスーパーに寄る。
 夕飯の材料。
 牛乳とパン。

 同じ財布から、同じように支払う。

 夜、家に戻り、通帳アプリを開く。
 入金。
 出金。

 そこには、
 仕事のお金と、生活のお金が、
 何の区別もなく並んでいた。

「……どこからが、仕事だっけ」

 自分でやっておきながら、
 自分で分からなくなる。

 会計ソフトに向かい、
 今日の支出を思い出しながら入力する。

 午前の材料費。
 これは、間違いなく仕事。

 昼のコンビニ。
 弁当。
 これは……?

 工場で食べた。
 でも、家でも食べる。

 田中は、手を止めた。

 財布が一つ。
 通帳も一つ。

 その状態で、
 「これは仕事」「これは生活」
 と切り分けるのは、
 思っていた以上に、神経を使う。

「……俺、何を基準にやってるんだ?」

 ふと、過去の自分を思い出す。

 独立したばかりの頃。
 お金が入るだけで嬉しかった。

 通帳の残高が増える。
 それだけで、やっていける気がした。

 でも今は違う。

 残高はある。
 それなりに。

 なのに、
 「使っていいお金」と
 「取っておくべきお金」
 その区別が、つかない。

 ある月、税金を払ったあと、
 急に資金が足りなくなったことを思い出す。

「こんなに持ってたはずなのに……」

 原因は、後になって分かった。

 全部、同じ通帳に入っていたからだ。

 生活で使っていいお金も、
 税金のために残すべきお金も、
 同じ“残高”として見ていた。

 つまり。

 自分のお金なのか、事業のお金なのか、
 分からなくなっていた。

 田中は、通帳の画面を閉じ、
 深く息を吐いた。

「これ、どこかで線を引かないと……」

 財布を見つめる。
 長年使ってきた、慣れた重み。

 でも、その便利さが、
 今は少し、怖く感じられた。

 そのとき、スマートフォンに通知が入る。
 銀行からの案内だった。

「事業用口座の開設について」

 偶然かもしれない。
 でも、タイミングが良すぎた。

 田中は、その画面を開いたまま、
 しばらく動かなかった。

 事業用の口座。
 財布を分ける。
 お金を分ける。

 それは、
 「面倒になる」
 ことじゃない。

 「見えるようになる」
 ということだ。

 何が残り、
 何を守り、
 何を使っていいのか。

 田中は、画面を閉じる前に、
 メモ帳を開き、
 こう書いた。

 「事業用口座、作る」

 たった一行。
 でも、それは、
 今まで避けてきたことへの、
 小さな一歩だった。

 そして同時に、
 頭の片隅に、
 あの存在が、はっきりと浮かび始めていた。

 ――先生に、聞いてみるか。

 まだ会っていない。
 まだ話してもいない。

 でも、
 「一人で決めなくていいことがある」
 そう思えるようになった自分に、
 田中は少し驚いていた。

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